2009年04月30日

お詫び

 過去の日記に掲載した写真が見れなくなってしまっているが、これは皆さんのPCが悪いのではなくて、私の不注意によって消してしまったのだ。
 
 過去の日記をお読みになられる場合には、ご了承願いたい。

 ちなみに、写真データは既に消去してしまったので、復元不能である。

 此処のところ写真を載せないのは、そういった経緯のトラウマショックである。
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カイロプラクティックの欠陥

 題名からわかる様に、これは自己の業界の批判である。但し、悪意は全くない。先日記したように自浄作用を働かす意味をこめてだ。

 先ず当オフィスにいらしている方々で、一般的なカイロプラクティックを理解しておられない方がいるかもしれないので、ここで国際的な統一見解を下記に貼り付けておくことにする。

 カイロプラクティックの定義
筋骨格系の障害とそれが及ぼす健康全般への影響を診断、治療、予防する専門職であり、関節アジャストメントもしくは脊椎マニピュレーション(アジャストメント)を含む徒手治療を特徴とし特にサブラクセーション(神経系の働きを妨げ生理学的変化を起こす因子)に注目する。

 とある。

 何だか小難しい言葉が列記されているが、簡単にいうと専門職化して、業界の幅を決め付けているということだ。

 先ず第一に、関節や背骨に治療することを特徴としている訳だが、そんなもの触らなくたって立派に背骨を正す事は可能であるし、触らなければ治せない様であれば、それすなわち人間の体の原理を理解していない事を公に認めているようなものだ。
 それに、単独の筋骨格系そ障害などというものは、私はお目に掛かった事がない。すなわち精神が絶対的にセットなのだ。
 
 つまり職域を決める事によって、反面に業界の衰退化を実現してしまっているのである。

 ちょうど先日、一元論やら二元論やらの内容を記したわけだが
 「専門職化することによって、自らの職域を科学的に解明し、誇示し、すなわち一元論化している」
 のである 
 
 その証拠に、定義という大義名文の中に、物質以外の表現を取り入れられていないばかりではなく、物質と物質の影響性を偉そうに記しているのだ。
 
 科学に肩入れする事は悪い事ではないのだが、同じだけ物質以外のものを扱わなければ、これすなわち医者の行く道と同じである。

 ならば医師(科学者)を目指し、そこでやっていれば良し。
 本当の原因はレントゲンには現れないのだが・・・。

職域を決めるという事は、昨日も記した様に、まさに盆栽生活そのものである。
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自由な人間、思考でありたい

 専門分野が細部まで開拓されている現代で、既に職域の地位を保護する、いわゆる自己保護が目に余る。

 例えば、明らかに害となる食品添加物などは、食品業界の自己修復機能が完全に失われている。
 体に悪いのは明らかであるのだが、健康を損なう域に達しないという国の見解を後ろ盾に、常日頃から我々は毒を食わされているのだ。
 
 こういったことに一番詳しい者はだれなのか。そう、毒を混入させている本人達が一番解っている事なのだが、ビジネスが成り立っている以上は変革を見せないのだ。

 医療の現場もそうだ。大正十年の文献から次のような一文を見つけた。
 
 欧州大陸で有名な医師にて又生理学者たるサーベンジャミン・ダブリユー・リチャードソン氏は「医学と称するものは一種無知なる贅言(ぜいげん)にほかならず、吾人の使用する医薬は最も進歩したとして、その結果は不満足におわり、実に戦争、飢餓、によりて死する人よりも多くの人命を害する」

 多年英国ヴィクトリア女皇陛下の侍医サーアツスレークパー氏は「医術なるものは憶測に始まり殺人によりて進歩したるなり」

 英国ロンドン市にて発行する内科外科医術評論の記者であり、医学博士のサージェムスジョンソン氏は「余は多年の研究と経験とに基づく真実を確信した。若し地球上に一人の医師、外科医、薬剤師、1つの薬種及び薬品が無くなれば、現在ある病よりも少なく、死者も少なくなると信ず」

 といった具合だ。

 これはすなわち当時の医師ならびに研究家が、自浄作用を持っていた事をあらわしている。
 何故それが出来ていたのか。人に対する医療を考えていたからこそ、また自らの原点を忘れずに(人の命を助けたかった)仕事をしていたからこそなしえたのではないだろうか。

 現代は果たしてどうだろう?
 
 全てではないにしろ、自らの思考や原点を社会の風潮というものに売り渡してはいないだろうか? 
 
 これの何処が幸せのだろうか?

 我々の思考は自由なのだ。社会の器にしたがってしか成長ができない、いわば「盆栽」の様な暮らしっぷりに、もうそろそろ飽きても良いのではないだろうか。
 
 次回はこれに見習ってカイロプラクティックの批判を記すつもりだ。ちなみにご存知の通り、当オフィスの名前は「恵比寿のカイロプラクティックオフィス」である。
 自浄作用を働かせねば健康にはなれまい。
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2009年04月29日

一元論最終回

 これまで数回に渡って一元論について述べてきたのだが、今日で私自身の結論に到る。

 私の経験上の結論は一元論、二元論でもないといううことであった。
 というのも、どう見ても一元論の様に1つの世界だけでは片付けられない事柄が多く、そして二元論の様に2つの割り切った世界でも無いと感じるのだ。

 では一体どういうことになっているのか、現時点で私が思う事を記す。無論数年後まで同じ意見であるかはわからない。

 大別すれば精神と物質との2つであることは確かだ。しかしそれらは混合するのでもなく、分かれているのでもなく、平行した時空を持っているのだ。すなわち精神で「3」の変化があれば肉体には「三」の変化が現れる。一見数字と漢字の差なのだが、意味は同じ、しかし形が違うのだ。よってその因果関係が無視されてしまう。
 これを私の施術事例をあげるとすると、私の思考に「右へ回転する」と強く思うだけで、実際に背骨の右回転のズレは解消する。
 これだけではない。この右回転に「さんかく」という目印を私の頭の中で思い、それを誰でもいいからズレているところに「△」をイメージしてもらうだけで、誰でもズレが正せるのだ。

 そもそもこの話は「クローン人間誕生か!?」といったニュースから始まったのだが、物質的にその技術力があることは十分解った。しかし、大事なものが不足しているのだ。そう、精神の働きが未だ全くもって未知数なのだ。
 だから、物質的な技術(この場合クローン人間が作れる技術)の成功率が100%であっても精神がエックスである以上は50%が満点にしか過ぎない。
 
 科学者は一元論であるという話をしたと思うが、すなわち物質しか見ていないので、100%に近いところまで来ていると思っているのだ。
 
 精神を解明せずして、精神をもった人間を作るのに違和感を感じるのは私だけではあるまい。
 
 現時点では、新たなビジネス産業の拡大位しか100%ではないのだ。
 
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2009年04月26日

一元論2

 先日は唯物論であった。今日は「物」ではなく「心」の唯物論である。

 唯物論は大きく分けて以下の2つがある。

・絶対的唯心論
 宇宙の本体は精神であり、物質の存在は精神が認める。例えば、目の前のPC画面は勝手に頭脳へ入り込んでくるのではなく、感覚器官がこれを画面として認めるということである。
 感覚は無形であることから、無形の象は物質ではなく精神であるというのだ。

・人格的唯心論
 簡単にいうと、自分が経験した事のみ宇宙の存在であり、親も子も、兄弟も幻想に過ぎず、ひいては自分の信じるもののみ価値があるということだ。
 
 どちらもありえる事ではあるが、人格的唯心論は、政治、宗教、芸術は全く価値が無いという考え方もすることから、全体性を欠いているようだ。
 無論、個人的な意見である。

posted by 青山整体GEN流院 at 15:27 | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月25日

一元論

 興味の無い方には全くつまらない内容になるかもしれないが、前回の続きで今回は「一元論」である。

 すなわち二元論と対極にあるものになる訳だが、これもまた人間の歴史からして必要なことである。
 
 ちなみに一元論の中にも更に細分化されているが、今回はそのひとつを紹介する。


 唯一論
 イメージとして考えやすく言うと、すなわち現代の科学者がこれである。
 つまり、宇宙間に実在するものは、すなわち物質と物質の運動であるということだ。万有一切の事象は物質からなり、またその変化活動は全て物質の運動に基づくとする。
 精神活動や、意識といったものもすなわち物質活動の結果に過ぎないと考えるのだ。
 だから、人間の身体が破壊すれば、精神構造も破壊され、消失して死にいたる
 
 目に見える物質主義といったところだが、これとて立派な生命哲学であり、誰も批判するに到る証拠はない。

 現代医療が、患者さんの精神を優先しないのも頷けるわけだ。 

posted by 青山整体GEN流院 at 23:21 | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月24日

今年は花

 当院のベランダへ大量の花の種を撒いた。

 都内は此処のところ暖かい日が多く、成長は順調なようだ。
 
 
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2009年04月23日

一元論

 先日にも記したが、生命の根源を語るには、避けては通れない哲学を要する。

 一元論を語るには、先ずはその対象的にある二元論について記しておく。

 以下、私的な見解の内容でありますので、詳細はご自信でお調べ下さい。

 二元論
 宇宙間の現象を大きく分けて、二種の存在にあると考える。ひとつは目に見え、耳に聞こえるなどのものは無色無形である。もうひとつはこれらを有形にした存在なのだ。
 つまり、前者は精神であり後者は物質なのだ。
 よって、二元論の考えとは、精神と物質とは独立の存在であり、決して交じり合わないことを言うのだ。
 であるから、世の中のものは全てこの二つから存在すると主張するのだ。
 宗教などはこれらの考え方を利用しているものもある。すなわちひとつを神の存在、もうひとつを自然の存在と説くのだ。

 こういった考え方は「ありえる」と思うし、誰も否定する事は出来ない。だから私も一理あると思っている。但し、宇宙の存在に対してまで、統一的な考え広めるのは、予測の域を達しない。
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2009年04月22日

当たり前の話だが

 此処のところ世界的な不況のせいか、はたまた、元からなのかは不明だが、自分がすることにいやいやながらやったり、ため息をつきながらやったりする人が多く見受けられる。

 今日いらした患者さんがそうだった。

 施術後に文房具を買ってから仕事に行くらしく「はぁ・・・。」とため息をつきながら「今日も仕事、明日も仕事、その前に買い物か・・・・」といった調子。
 
 ここで、当たり前のことを記さなければいけないが

 「自分のすることを態々下げて一体誰が損をするのだろうか?」

 病気を作るのは深層心理といった無形なものから物質化するわけだが、この場合も自らが、いやいやを無形なものから物質化してしまうのだ。

 自分のすることには楽しみを見つけるべし。そうすればそれが物質化するのだ。

 本日、英インデペンデント紙にて人間のクローン胚を4人の女性の子宮に移植し、近くにクローン人間が誕生するとの事だが、一元論化しやすい科学者や研究者は「哲学」といった大前提を尊重して欲しいものだ。

 今日の題材も二元論であるが、クローン人間のニュースを見て、時代はまさに一元論が色濃くなっているみたいだ。

 明日から
 一元論のについてここで紹介せねばならないようだ。でなければクローン人間の話しをするに、統一言語が得られない。
 *唯一論
 *唯心論
 *絶対的唯心論
 *人格的唯心論

posted by 青山整体GEN流院 at 23:05 | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月21日

食べ物の次に大切?

 前々回の日記で、食べ物の重要性に触れたが、これだけでは実のところ不十分なので、今日はもう1つ重要なことを記す。

 人間が生きていく為に必要なのは確かに食べ物だ。しかしもっと重要性の高いものがある。それは呼吸だ。
 食べ物はとある信仰行事で、90日くらい食べずに生きていられたことが、昔の文献からわかっている。ちなみに現代では、生命の危機を考慮する事により、科学的理論的な日数でしか算出していない。
 昔の人は心経の為なら死ぬ事すらできたのだ。すなわち目の前で死する人など良くあることであり、こちらの経験的日数の方が正しく思う。

 しかし呼吸はどうだろう。凡人なら1分30秒も止めていたら、苦しくて意識がとんでしまう。

 つまり食と比べ、重要度で言えば比にならないほど呼吸の方が大切なのだ。まさに空気を食うのである。

 現代では、食の汚染ばかりが見聞きしがちであるが、実のところ空気の汚染の方がよっぽど重要であるのだ。
 
 だから、薬品が混じりがちな工場近くや農場周辺では、綺麗な空気のところで人一倍呼吸をする必要がある。
  
 前回、食を変えれば体を敏感に出来ると記したが「呼吸も同じく」だ。

 
 では一体どういった呼吸が良いのだろうか?
 
 難しい事は沢山あるが、人は難しいものには飽きが早いものだ。だから簡単に
 「一日に30分程、普段の倍くらい長く呼吸を維持する」
 それだけで十分に体は変わる。

 人によっては「呼吸法は危険だ」という事を言うのだが、これは本当の素晴らしさを理解していないからだ。批判する者の知識は明らかに浅すぎる。

 ついでに30分くらい長めに呼吸をしていれば、手は暖かくなる。そうしてその手を患部に当てれば、これぞ本当の手当てである。

 明治の文献では、癌とて容易に治るべく効力を発揮せしめると書いているのだ。
これをやらずして、漢方だの薬だの外部からのもので解決しようというのはおかしなものだ。
 私が体の声を代弁するならば「おいおい!自分に気づけ!」となるだろう。

 ちなみに力仕事などをする人は、呼吸量が慢性的に少ないはず。何故ならば力を入れるときは、呼吸が止まるからである。
 あとは、ホコリっぽいところで仕事をする人も同じであろう。
posted by 青山整体GEN流院 at 14:26 | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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