2010年05月31日

同一

 ちょっと難しいことを記すかもしれないが、頭のおかしい人だと思わないでほしい。

 そもそも我々人間という種は、他の動植物とは別の種と思いこみ、それが錯覚を起こしているのかもしれない。

 何でその種を判断しているのかというのが問題点だ。
 
 つまり、「見た目や持っている機能という意味での種」ということなのだろうが、その種には全くもって境目はない。
 
 何故ならば、種とは人間が決めたにすぎない「違い」によるものだから、現実は境界はないという考え方も出来るだろう。

 そもそも小さい世界では、人間は細胞で出来あがっており、炭素という元素でもある。それは、植物だろうが動物だろうが同じではないか?
 
 生き物というところから、「人間」「動物」「植物」と種別して、それが全く別物として認識する傾向があるということだ。

 種類は更に種類を増やし、隔たりは更に隔たりを作る。

 例えば、人間は男と女に種別ができ、肌の色や民族、集落、村、国という種別(隔たり)を構築し、それが我々の精神にも架空の壁を作り上げるのだ。

 だから、その種別(隔たり)があることによって、人類は過去を見ても、絶えず争いを生じてきた。

 「人類みな兄弟」などという言葉もあるが、これとて人間と他の生物との階級を誇張した、差別用語ではないだろうか?

 結局、人間目線での都合によって作り上げたのが種別であり、その種別は結果として好き嫌いを作り上げ、そうして最終的に自分と他人という境目を作り上げる。
 
 自分しかこの時空に存在せず、他人や動植物はあなたの想像でしかないのであれば、自分も他人も動植物も他人とはいえないだろ。というのも目や耳や鼻、皮膚といった感覚器官が勝手に空想の産物を作っていることになるからだ。

 また自分以外のものが、それぞれ偶然的にこの時空で居合わせているという考え方もできる。あなたと私に時間のラグは無いから、私があなたに触れた感触とあなたが感じている感触は同時である。

 いずれにしても、人間は感覚というものを神経インパルスに乗せて、脳で実態のないものを感じているだけである。つまり、感覚の創造物でしかないのだから、見えるか見えないか、感じるか感じないかというものによって生きており、結局それが自分と他人の差であり、精神の境界ということになる。

 その境界に出来あがるものこそが、自己を死滅させる病というものなのだ。

 もっと簡単に言えば、脳の感覚(空想)と他人になった部分が、自己を攻撃するということだ。

posted by 青山整体GEN流院 at 03:10| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月28日

慣れること

 人間は未知の人や生物には「警戒」をする。

 しかし、未知が時間とともに慣れてきて、警戒心がなくなり、そして行きつくところは「無警戒」になる。

 無警戒、すなわち脳の神経回路が形成されて、考えずともいつも同じ神経しか働かなくなる。

 刺激がなくなり暇になる。

 一般的には気を使わなくなるという。

 この「慣れ」というものは「安定」とおきかえることができる。

 安定した生活、安定した気候、安定した給料・・・

 しかし、人間が自己の開拓を果たす時には、この安定を崩さなくてはならない時がある。

 砂浜へ打ち寄せる波でいえば、海から距離のある砂浜に埋まった岩と同じだ。

 常に一定の天候では、いつまで経っても波打ち際の砂浜ばかりが活性化して循環するだけだ。

 しかし、天気が荒れれば津波が起きて、普段では考えられないくらい遠くの砂浜まで波が到達する。
 そうして、大きな岩だって波に持っていかれることがある。
 
 こうして、自己の障害物を取り除かなければ、一生そこのレベルでさまよう事になる。

 だから「慣れてしまった生活から飛び出す」ということは、とても億劫であり、面倒に感じるし、不安に感じるものなのだ。
 
 しかし、我々は10か月も生活した、心地の良い母体から産まれ、すでに0歳の時にはそれをやっていた。なのに、数十年も生きてきて「食わず嫌い」をする。つまり億劫、面倒、不安から遠ざける生き方をしてしまうのだ。

 私だって同じ。

 毎回同じことをやっていれば、安定は得られるが、砂浜の遠くの障害物は取り除かれないだろう。
 
 そう考えて「あえて嫌われることもあり?」というのもワクワクしてこないか?
 
 どんなに嫌われても「あいつしか救えない」というレベルが必要なのは大前提だが。
posted by 青山整体GEN流院 at 16:51| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月24日

今日から

 今日からまた軽井沢方面へ出張となる。

 日記の更新はできれ木曜日の夜にしようと思っている。
posted by 青山整体GEN流院 at 10:02| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

精神の自己

 我々は、「自分の」とそでうないものを常に兼ね備えて空間のなかを生きている。

 例えば、あなたの腕について、「これは誰の腕ですか」と聞けば、当然のことのように「私の」というだろう。
 では、あなたの持っている財布について「これは?」と聞くと、これも「私の」という。
 
 さらに掘り下げて、あなたの部屋に行き、「この空間は誰のもの?」と聞くと「私の」という。ならば自宅を出て、玄関前の通りについて聞いてみると「私のというよりも・・・」となるのだ。

 当然と言えばその通りなのだが、もしも玄関前の通りがある日、自分の知らないうちに大幅に工事がなされたらどう感じるだろうか?

 「違和感」を感じるのではないか?

 いわゆるこの感じこそが、自己の精神でいうと、自分の内側にあるもの。つまり、自己として認識しているのだ。

 だから、玄関前で殺人事件が起きるのと、一本先の道で殺人事件があるのでは話が違う。

 つまり、自己の内側と外側では、精神に与える影響は全く違うわけで、すなわち「自己と他人の境界」でもあるわけだ。

 この自己の精神の境界線を持って、我々は敵と味方を区別する習性もある。

 だから、自分と違う意見の持ち主は敵であり、対立の構図が出来あがるのだ。

 しかしだ。考えてみよ。そもそもどこにその境界を持つかは自己の精神であって、隣町でろうとどこであろうと、意識の問題なのだ。

 さらに言えば、自己と他人の接点は2つの対象物で考えれば、必ず凹と凸の関係になるのだ。

 だから、自分が対立するものイコール自分と他人の線であり、すなわち全体論として凹と凸が四角だとしたら、自己の不足部分が他人であことに気が付くべきである。
 
 私の凹の方が正しいというのならば、凹だけで生きてみるとよい。そうなれば、自分は凸に近づき変化してゆくことを感じるはずだ。
 
 このように、人間界では常に不足同士をぶつけ合って、お互いの優位性を比べる習性がある。

 その象徴が人類の性。すなわち「男女(凹凸)」となるわけだが、そうやって何千年も人間界では政治、宗教、社会的弾圧を繰り返すのだ。

 おっと、何故このようなことを紹介したのかというと、自己と他人の境目でトラウマは形作られる。

 だから、許せないことや、自分の防御を無理やり突破されたことによって、精神の外傷は出来あがってゆくのだ。
posted by 青山整体GEN流院 at 09:56| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月20日

健康

 我々が生きているということは、つまりは過去があって、そしてこれを読んでいる間にも未来が訪れているということだ。
 
 つまり、生きているからには現在、過去、未来がある。

 では、健康を実現するためには、現在と過去、未来のどこについてアプローチをすべきだろうか?

 これが正しいという答えはなしにしても「全部」ならば間違いはないだろう。

 現在のために全身の循環を回復し、未来のために神経を解放し、その過去のトラウマを操作する。

 これが、今の私の施術スタイルである。

 だから、私のいう健康とは「過去形も現在形も未来形も、生命の動きを妨害するものがない状態」となるのだ。
 
 解放しにくい人はいるにせよ、トラウマは誰でも持っているようだ。多くは泣き、苦しみ、怒り、などの感情が表明化して、過去の精神ブロックを解放してゆく。それはとても神秘的で楽しい時間となることだろう。
posted by 青山整体GEN流院 at 22:38| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月17日

さぼり癖

 最近日記の更新をさぼる癖が付いてしまった。 
 
 というのも、本を書を書くために文章を考えることが多いので、その部分の脳が、使われる事に疲れてしまっているようだ。
  
 最近は現代、過去、未来の分かれ目が無くなった状態の生活をしている。

 というもの、最近は毎日施術で過去の探索をするようになったからだ。

 過去といっても、病気や痛みの根本についての探索。
 
 これが、面白いことに、現在、過去、未来全てが原因になっていることが分かってきた。

 これぞ、アインシュタインの相対性理論なのか。E=MC2
 
 時間は掛かるが、全てを超越した人知を超える体験をしてみたければ是非。

 ちなみに料金は2万円に決めた。

 全ての宗教や、歴史、科学、現代医療、あらゆる分野の治療を超越しているように思える。

 尚、人によっては、それをおこなっている最中に、嘔吐する人もいるから、そういった点は最初に考慮して頂いてから希望して貰いたい。

posted by 青山整体GEN流院 at 22:57| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月16日

宗教画

 沢山の代表的な宗教画というものがあるが、それらの殆どは、実際に体験することは可能である。

 「馬鹿なことを」と思うなかれ。トラウマの解放中には、その一部一部に遭遇する事ことが珍しくない。

 実際にはイメージの世界になるが、そうはいっても相当にリアルで自分の全ての感覚器官でそれを体験する。

 だから勿論、苦しみ、悲しみ、怒り、痛みなどは本当に感じるのだ。

 これらの現象は出産の過程で、どこでトラウマ化したのかによって、全く違ったものが出てくる。

 おそらく宗教画を描いた人達は、そういったところを絵画にして描いたのだと思う。だから、全く根拠のない空想ではないのかもしれない。

 あと、解放中は架空の生き物を見ることもある。例えば「火の鳥フェニックス」や「龍」。
 しかも、手触りやその他の細部に渡って記憶して戻ってくるのだ。これもまた全くの空想ではないのかもしれない。
posted by 青山整体GEN流院 at 23:17| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月13日

心的外傷

 身体的外傷と同じように心的外傷もある。

 これは、一般的にトラウマというものだが、どこまで遡る必要があるのかは、それぞれが勝手に判断するようだ。

 人間は基本的にトラウマを持った生き物であり、出産時を筆頭に事故や溺れたなど、たとえ記憶がなくとも強い心理的な影響を受けたときにおこる。すなわち脳に焼き付いているわけなのだ。

 これが、全ての病気や痛みの根源になる。

 だから、それをどうしても解放させなくてはならない場合がある。
 
 強烈なワークとなるので、できれば通常の施術で解消してくれればよいのだが、やらなくてはならないケースも多々ある。
 
 一番困ってしまうのは時間である。一度それが出てしまったら、長い人で3時間くらいかかる。

 だから、これはこれで定期的な曜日などを設けて、別枠でやるしかない。

 近く、通常施術とトラウマ解放の2パターンでやることにしようかと思う。

 
posted by 青山整体GEN流院 at 18:24| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月10日

他人事ではない

 私のオフィスへ訪れる人の殆どは、何かしらの身体の異常を感じているわけだが、その殆どが誰かに治してもらうという発想が常識化しているようだ。

 病気は誰かが治して、何かで良くなる。そういう考え。

 しかし、一体誰があなたの体を創ったのか?

 自分である。

 ならば自分しか病気を作ることはできないし、病気であることを辞めることもできない。

 ではあなたの仕事は一体何であるのか?と聞かれるのだが、私の仕事はあなたの健康を励ます仕事のようなものであり、生命力を喚起させるのが目的である。

 体の言い分は自分にしか分からないのだ。

 勿論、病気を癒す気になるかならないかもあなたの潜在能力だ。
  
 
posted by 青山整体GEN流院 at 09:40| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月04日

身体を柔軟にする

 自称私は体が堅いという人がよくいる。

 そういった人は、身体の状態が悪いということもあるのだが、なにしろ意識の乱れが大きい人だ。すなわち精神の乱れ。

 これは簡単な方法で実証できる。

 仰向けになって上体を起こし、つま先を触る様に前屈をする。つま先が届く人も届かない人も、はたまた膝に顔が付く人もいろいろだろうが、ともかくその自分の硬さを実感して欲しい。

 そして、一旦仰向けになって寝る。全身の力を抜いてリラックスした状態で、自分の「ヘソ」から空気を吸って吐くを5秒おき位に行う。つまり1呼吸10秒程度の速さだ。ヘソから実際に空気を吸う事は無理なのでその気になったイメージで呼吸していれば出来てしまう。これを1分もすれば変化がでる。

 そうして、再び上体を起こして前屈をして見るとよい。あら不思議、先ほどよりも柔軟性が出てきているではないか。

 これに変化が出ない人は、一先ずは体の堅さは精神の乱れが原因になっていない。

 
posted by 青山整体GEN流院 at 20:36| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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