2010年06月29日

透けたらわかりやすい

 マリリンモンローの胸部レントゲンが、日本円で400万円で落札されたらしい。

 個人的には高いと思うが、これだけの故人情報?を400万円とは考え方によっては安い。

 彼女の死の原因は未だに不明慮だが、このレントゲンを見る限りでは、心臓や肝臓の状態が非常に気になるところだ。
 
 それ以外は、たぶん私の背骨の数倍以上綺麗である。

 これぞスーパースターの骨格。しかし、何故死んでしまったのか、レントゲンだけではわかり得ない。


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posted by 青山整体GEN流院 at 20:22| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月26日

ワールドカップと政治

 ワールドカップで予選通過をしたサッカー日本代表であるが、当初の予想では「弱小岡田ジャパン」として、岡田監督の戦略や指揮能力に、マスコミを始め多くのサッカーファンまでもが批判的であった。
 
 ところが、結果は気持ちよく予選通過を果たした。

 あの批判的な態度はどこへいったのだろうか。

 この態度から学ぶべきことは多く、例えば近年混乱期となった政治の世界でも同じことが言えるはずだ。

 あれやこれや議論をし、批判のかぎりをつくしても、結局上手く行けばそれが最高の名案になるわけだ。

 おまけに我々の健康管理も同じである。

 ずっと施術を受けていれば、それが効果的に感じられないときもあるだろうし、全然・・・。というときもあるだろう。

 しかし、健康というのは人生全部のワールドカップのなのだ。

 だから、失点をしても誰かが怪我をして途中からベストメンバーでなくても、結局決勝リーグへ進出して、優勝ないし満足のいく結果であれば、それが施術する側の望むことである。

 すなわち、今腰痛を即退治することや、膝の痛みを即取り除くことができなかったとしても、「それは前線でボールを奪いに行ったが取れなかった」というワンプレーに過ぎないのだ。
 確かに前線でボールを奪えた方が良いだろうが、奪えなかったことによって、かえってカウンターを仕掛けられ、得点の足がかりになったとしたら、そのボールを奪いに行ったチャレンジは「ミスではなく、果敢にボールを奪いに行った」と評価されるだろう。

posted by 青山整体GEN流院 at 19:24| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月23日

身体の時間

 我々人間は、一応全員同じ時間を同じだけ過ごして今まで生きてきた。

 とはいっても、一分一秒を無駄にできない仕事をしてきた人や、比較的時間にゆとりのある生活をしてきた人もいるだろう。

 例えば、忙しい生活をしていれば、あっという間に時間が経ってしまうだろうし、そうでない人は、一日一日が長く感じる。

 そういった人達が、本当に同じ時間を過ごしてきたと言えるのだろうか?そう、確かに理論的にはそうなのだが、体内で流れた時間は決して同じではないのだ。

 いうなれば、忙しくして体内の流れる時間を早めることばかりなら、間違いなく体内の時間及び年齢の経過は速くなり、老化をする。

 ならばゆっくり生活をすればよいのかと言えば、それもまた違う。つまり、本来の時間とは違っているため、これも鈍るという老化を起こしてしまうのだ。

 
 ならば適正な体内の時間を獲得するためにはどうしたらよいのだろうか?

 これは一つの方法にすぎないが、一日に一度ゆっくりと眼を閉じ、自分の呼吸に意識を向け、時間の流れを味わってみるとよい。そう、地球の自転と公転の動きに逆らう事をしないように。ただただ時間に身をゆだねるのだ。
 
 そうするだけで、自律神経の活動は勿論、全身の流れる時間をリセットできる。
 
 車と同じように、オーバーヒート気味の状態ならば、アイドリングで冷却できるし、エンジンをあまりかけない様な使用頻度ならば、一通り機能が温まるまで放っておけばよい。

 急がば回れ。どんなときでも必要なことには時間を割くべきだ。誰だって、未来のことは「運まかせ」なのだから。
posted by 青山整体GEN流院 at 22:34| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月19日

日常生活の自分

 これまで、精神と身体の状況は全て一致するということを、散々この日記で述べてきた。

 しかし、日常生活ではどうかというと、なかなか応用が利かないというものだ。

 結論を先に言うと、「日常生活のその全てが身体の状況と合致し、結果結晶化したのがあなたの後姿である」ということだ。

 後姿と記したのは、背骨という意味も含んではいるが、ここでは自分の気が付いていない部分、見えないところということ。

 人間と言うものは上手く出来ていて、全てが○になっていなければならない。まさに夫や妻、近しい人で凸凹が成立しているのだ。つまり、お互いがお互いの後姿を見て補足しているわけである。

 仕事や勉強、趣味、等で忙しくしていると、凸凹の形態を変え始め、自分自体が○になろうと変化する。これも適応能力であるわけだが、欠点として相手が邪魔になったり必要無くなってしまう。
 
 潔癖症や依存体質はこの極度なものだ。

 というのも、厳密に言うと凸凹ではなくて、鍵と鍵穴の関係のように、複雑な形態合致が近しい人には求められる。だからケンカをしたりして、嵌らないところに衝突を作り出し、お互いが年月を掛けて嵌るようになる。
 例えば、どこへ行くにも一緒であったり、日常から常に時間を共にする人とは鍵と鍵穴を形成する。そうしてその近さの度合いで、鍵と鍵穴の複雑性が求められるのだ。

 よって、近ければ近いだけ違うところが気に入らなくなる。綺麗なガラスにほんの少し指紋が付いたら気になり目立つのと同じことだ。

 これが行きすぎると潔癖体質を作り出す。

 
 恋愛ドラマの別れの代名詞で「忙しい中でのすれ違い」とあるが、それはお互いの鍵と鍵穴の関係を、それよりも近しい人と形性してしまうからだ。兆候として、話し方や、しぐさ、物事に対する反応が変わってきたら要注意。

 職場のチーム、趣味の仲間、友人などがそれになりやすい。

 ではどうしたら、自分の後姿が見えるようになるかである。

 これは非常に簡単なことで、日常生活で新幹線に乗っているのなら、普通電車に乗り換えることである。つまり、日常生活のスピードを一気に弛めることをするのだ。そうして出来た余裕で、普段自分が無意識にしている反応を変えてみるのだ。

 例えば、いつも使っているコップを左手で持ってみて、その重さを知ったり、立ち上がるときに「よっこいしょ」という習性があるのなら、意識的に「どっこらしょ」に変えてみる。

 そうやって、自分が忙しさのなかに「当たり前になっている日陰」を見つけてゆくのだ。それが、結果自分の後姿に影響を与える。

 だから、身辺に注意が行きわたれば、鍵穴の違う相手とだって、きっと上手くやっていけるはずだ。
  
 
posted by 青山整体GEN流院 at 18:52| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月14日

今日から

 今月も今日から軽井沢方面へ出張に出掛ける。

 最近更新の間隔が広くなってきたが、日記も17日までできませんのでご了承ください。
posted by 青山整体GEN流院 at 01:13| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

咲いた

 イエローダイアモンドという品種のユリが、オフィスのベランダで多数咲いた。
 
 去年に植えて無事に咲いたが、今年はどうかと思っていたら、梅雨入り前に無事に咲いてくれた。
 
 
 
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posted by 青山整体GEN流院 at 01:09| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

対極の意見

 政治討論なんぞ聞いていると、いささか個人の意見と言うものが無くなってしまう時代が窮屈に感じてしまう今日この頃である。

 ○の黒線の内側も○だし、その外側も○であるように、物事には最低でも2通りある。つまり、その2通りのどちらが正しいのかという見解の違いが論争ということだが、前回の日記にも記した様に、その論争に勝ち負けはなく、結局結果という未来こそがその結論ということになる。

 丁度ワールドカップが開催されているので、サッカーで例えれば、どんなに素晴らしい戦術を練り、それが全て完璧に実行できたとしても、結局シュートを外しては意味がないし、それどころかシュートを打たなくては意味がない。
 
 どんなにハチャメチャな戦術だったとしても、それが偶然であれシュートが多く入った方が勝ちなのだ。

 だから、政治に限らず討論番組というのは「単なる妄想ゲーム」であって、すなわち妄想から脱しなければ、評論家で十分なのだ。

 「ならばいい加減な方法でも良いのか?」

 と聞かれそうだが、究極の結論として、私はいい加減でもよいと思っている。

 重要なのは、偶然でも未来にそれが有効的な手段であったと言われることではないか。

 「失敗したらどうするのか?」

 失敗かどうかも今は絶対にわかり得ないはずだ。むしろそう考えて委縮してしまったら、シュートも打つことはできないし、そもそも負けているのならば、その時点で既に、結果失敗しているわけである。だから失敗したことが、また失敗しないかどうかなど同じ脳ミソで考えても失敗するだけではないか。

 これは極端なたとえ話であるが、包丁を持って料理をするのは「怪我をするリスクがある」としたら、リスクのない「包丁を持たない料理」を選ぶだろうか。精々1年に一回怪我をする程度だとしても、「リスクは完全に排除すべき」として、包丁を使わない料理にする法案が可決したとする。しかし、年に一回程度なら大丈夫だろうという反対意見もしかり、ならば、年に二回ならばどうだろうか?3回ならばどうだろうか?10回ならばどうだろうか?

 結局、美味しい料理の議論はなされないまま、料理を語る哀れな集会になるに違いない。
posted by 青山整体GEN流院 at 00:54| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月09日

常識

 人間の社会において、善と悪がある。

 善はすなわち、一般的な社会においての線引きで善とするものであって、悪はその逆ということである。

 それらをいつの間にか「常識」として我々は教育されてきたわけだが、実のところこの線引きというのもは、例えば国や田舎の違いによって、全く変化するものなのだ。

 ならば、同じ人間なのに「善」と「悪」の線引きはいったいどこにあるものなのだろうか?

 結局「誰かと誰か」がいるからこそ、線が必要なのであり、自分ひとりならば悪も善もないだろう。

 政治論争というものは特に、その線の論争であり、それをマスコミというものが、常識的にかけ離れていないかどうか報道する。

 つまり、正しい答えというものや、間違った答えというものは存在しない。成功すれば善であり、失敗に終わったなら悪になるからだ。

 結果で全ては逆のものになる。

 正しいか正しくないか、良いか良くないか、幸せか幸せでないか、貧乏か貧乏でないか、忙しいか忙しくないかといった、全ての心身的答えは、すなわち「自分以外の誰かや何かとの線引きによって決まってくる」ということだ。
posted by 青山整体GEN流院 at 17:37| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月08日

嬉しさを倍増

 「人生を楽しく健康に」という人にはもってこいの方法を一つ紹介する。

 先ずは、何か楽しいことや、嬉しいこと、幸せを感じることを自分で見つけ出してほしい。

 そうして、それを自分の心で実感したのちに、沢山空気を吸い込むのだ。

 そうすれば、あなたの脳が感じるその楽しい幸せな気分を倍増することができる。

 「一体何故なのか?」と聞きたくなるのが人間社会で教育された習性なのだが、簡単にいうと、何かを感じる為にはその為に必要とされる原動力があるのだ。

 その原動力こそ呼吸。というのも、一度の呼吸で10の22乗の原子を取り込んでいるのだ。これが単に酸素と二酸化炭素の換気と位置づけるのは勿体ない。

 そもそも、無意識に嬉しいことや楽しいことがあったときには、そういったことは行っているのだが、それをほんの少し倍増させる方法だ。うつ病の人にはこれだけだも十分に改善の兆候がみられるようになる。
 
posted by 青山整体GEN流院 at 12:04| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月04日

賃貸

 今年の末頃に、自宅の賃貸マンションが更新時期になる。
 
 それにしても家賃一ヶ月分の更新費用というものは高いと思う。

 しかし、オーナー側の現状としては、この更新費用を修繕費積み立てに組み込んでいるらしい。
 
 というのも、そもそもが借金をして購入しているケースが多く、借金+積み立てというのはとても簡単なことではないという。

 今後、引越しをしようか多少交渉の余地はあるものの、少し住まいを変えて、人生の生活環境を変えてみるのも賃貸の醍醐味。

 部屋が変われば生活が変わる。生活が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人生が変わる。人生が変われば・・・・。


posted by 青山整体GEN流院 at 02:21| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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