2010年08月31日

余計なお世話だが

 民主党代表選に注目が集まるなか、マスコミ各社はこぞってこの事態を批判的に取り上げている。

 余計なお世話だが、そこまで批判的であるならば、特集など組まずに、一言のコメントで終わる話なのだが、ここまで取り上げられると、かえって意図を感じてしまうのも私の悪い癖。
 
 それに、もしもマスコミ各社が一般国民目線のものであるのならば、小沢一郎氏の件以外の検察の捜査、および裁判判決について怪しいものは沢山ある。しかも明らかにくさい「警察、検察寄り」の判決で再審無効になっているものもあるのだ。

 確かに、小沢一郎氏の影響力からすると、取り上げられても仕方がないだろう。しかし、前述したくさい判決に関しては、その大多数には死亡した人がいる。

 個人的な見解だが、小沢一郎氏ごときのやったことで、これだけ報道時間を使ったのに対して、死亡者がいるくさい判決には100分の1も時間を使わないのはおかしい。

 「国民目線の政治とはかけ離れた民主党政権」という意見を言うコメンテーターが沢山いるなか、「国民のためでない報道」をしているものこれまた皮肉である。
 
posted by 青山整体GEN流院 at 23:08| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月29日

寝ることが楽しみ

 人間は普段からある刺激は日常化してしまうものだ。それは、映画館から出てきた時に、地上の光が眩しく感じてしまうのも同じこと。

 健康だって同じ様に、普段病気がちな人よりは、そうでない人達よりも、健康のすばらしさを実感しているはずだ。

 だから、健康を維持するという意気込みは大事ではあるが、健康人が健康を更に追い求め過ぎるのも、逆に健康ではないのかもしれない。

 物事には適度が大事。
 
 肩肘張らずに描いた直線の方が、綺麗に書こうとするあまりにじっくり書いた人よりも、滑らかな描写ではないか。

 ということで、何が言いたいのかというと、私は今これを記している時間で計算すると、約32時間寝ていない。もちろんお休みでもなければ、比較的忙しい時間であった。
 これを書けば寝られるのかと思うと、とても寝ることが楽しみである。

 「何だ32時間くらい」と思った人は、そういう環境に慣れている人。「えーっ!」と思った人は必ず寝なければ体が持たないと思っている人。
 
 慣れてくると、3,4時間位寝れば、結構快適な生活を送れるのだが。
 
 とはいっても、海外で毎日片道3時間を掛けて歩き、学校へ行く子供がいると知ったときには流石に私も驚いたが、当の本人は何故驚かれているのか理解していない様子だった。

 最近世間を騒がしている、民主党の代表選も同じだ。政治と金の問題を解決してからでないと小沢一郎は・・・。という人もいれば、背に腹はかえられないから、いくら問題があっても、何とか日本を建て直してくれるのならば・・・・。という人も。

 私自身、現時点で有罪とされていない人に関して、日本はあまりにも騒ぎすぎだと思うが、結果責任はきっちり果たして欲しいと思う。
 
posted by 青山整体GEN流院 at 23:33| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月27日

後から治るは治療ではない

 先日、レメディという弱毒性(正確には身体の治癒反応を強めるために使用する極々少量)のものを投与する方法が、医師の間で広まり始めたということから、医学学会で大々的にけん制批判を行った。

 これはいずれにしても毒であるわけで、体には危険であることにはかわりはないということからだ。

 しかし、論点はそこにはない。

 これの本質は、医師の哲学というところにまで遡るのだ。
 
 ここ数年近代医学、すなわち医師の権力は絶大であるが、過去にはそうではなかった。


 人間を科学的に分析して、医師の行為によって治癒に至らしめることを「治療」とするのが医学。
 その反対に我々のような、身体の自己修復作用を喚起させて、治癒に至らしめる方法が対等にあったのだ。
 
 つまり「医師は治療をする」ことが、国家から与えられた枠組みの仕事であって、自然治癒によって治るでは医師の仕事としては「ギャンブル扱い」として、危険、怠慢ということにもなりかねない。

 我々は、身体は自然の産物であるから、そこに起こるものは自然のことであって、自然に回復できるようにと考える。

 しかし、医師は自分の行った治療や投薬にり、即座に変化が出なくては治療として成立しないわけだ。

 話は最初に戻るが、レメディは身体の自然の反応を喚起させる方法である。すなわち、自己修復作用による治癒である。

 だから、医師の仕事から除外されるわけだ。

 自らの職域を狭めることにはなるだろうが、確かに国家が認めた免許は、診断、治療を行える権利であって、自然治癒に頼る方法ではないと解釈してもおかしくはない。

 だが結局のところ、身体が自ら修復をしなくては、外科的に切った傷口すら治らないのだが。

 それと、自然に医師たちの間で広まったということは、其々が判断して良いとしたからではないか?
 日本の国は特に保護という観点からも、何でも規制をかけてしまう。これでは、本当に優れたものは生まれてこない。
 都心に人が集まる傾向にあるとして、地方の過疎化が問題になっているが、私個人では、それが時代が選んだ傾向ならば問題にする必要はないと思う。

 仮に、都心に殆どの人が住居したとしたら、今度は田舎の価値はかえってあがるし、新しいアイデアを持った生き生きとした人達が、田舎に集まり始めるということではないだろうか?
 今は田舎は不便で、都会は便利。しかし、ある水域に達したら、今度はそれが逆転するだろう。
 いつの時代も規制が介入することによって、かえって問題点を固定化させているように思える。
posted by 青山整体GEN流院 at 15:18| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月25日

PC

 PCを変更することになり、一時的に予備のPCを利用している。

 だから、使い勝手が悪くて、あまりブログを更新できないでいる。

 パーツから組み立てるので、時間が必要なのだ。

 当分は機嫌しだいの更新となるだろう。 
posted by 青山整体GEN流院 at 18:31| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

病気になる前があるなら

 病気になるということは、病気になる前があるとうことだ。ならばアレルギーというものにもなる前がある。

 普通一般的に言われるアレルギー反応というものは、湿疹が出たり、痒くなったり、充血したりという炎症反応が起こるわけだ。
 
 しかし、ここで言おうとしているアレルギーの前というものは、そこまで行かないが体が反応している状態をいう。
 
 それは果たしてアレルギーなのか?と聞かれれば、医学的にはアレルギーとは言わない。というのも、上記の反応が見られないからだ。
 病気も同じである。病気の反応が見られないとそれは病気ではない状態であるし、治療の対象になりはしない。

 だが、症状を出さない見えない反応は沢山出している。

 つまりは、そこに病気になるかならないかの分かれ目が存在するのだ。

 書店に行けば、予防医学という言葉が流行っているようだが、医学が仮に目に見える反応だけ追いかけるのであれば、その時点で予防と医学の言葉は別であるべきだ。

 それどころか、私にとっては大きな見える反応なのだが、それが今の科学では見えないというのだ。

 本当にそうなのか?

 数センチの違いが科学的ではないのか?

 そんな矛盾といつも付き合って生きている。

 話が違う方向へ行ったが、医学的にはアレルギーとは言わないアレルギーの手前は、明らかに脳が嫌がっているのだ。つまりは、脳へはストレスとなっている。だから、体調を崩す要因でもあるのだ。
 
 仮に、脳が嫌がっているものがお気に入りのアクセサリーならば、それは大嫌いな人が常に触れ合った状態で生活しているに値する。

 病気になるのも無理はないが、本人は意外と気が付いてはいない。
posted by 青山整体GEN流院 at 18:23| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月20日

物質化

 前にも記したと思うが、実際に我々の身体症状が出始めてから、若しくはレントゲンで映ったりする状態の前には、必ず物質化する前にも症状が出ている。

 症状が出る前の症状とは、気が付かないが変動している状態の事を指す。

 例えば、周囲の磁場や循環の変動、それに伴うコールドスポットや、神経活動の異常等がある。

 更に深い部分まで語ると、身体を取り巻く空間の場にまで影響を与えるのだ。

 私の事を頭がおかしい人と勘違いされる前に説明しておくが、それが決して空想や信仰心から来るものではなくて、実際に肉体への影響を実証することは可能なのだ。

 信じない人は、事件を見て裏に隠れた動機には興味がないだけ。つまり、病気を見て病気の形成段階を見ないのだ。

 お隣さん夫婦が毎日口論をしていても気にならない人。そのくせ、殺人事件が起これば「やっぱりか、あれだけ●●していたもんな」というし、起こらなければ気にしすぎだと言う。

 しかし、何も不満が無ければ殺人なんて起こりはしないだろう。奇怪な事件や衝動的事件にだって、理解はできなくても動機はある。
 
 病気も同じ。動機を一つ一つ無くしてゆく。それこそが事件に発展するまでにやれる最善の方法ではないだろうか?
 それをどこまで調べるかの差で、ゴミの一つ一つを調べて「怪しいな」と思うか、「上手く行ってる?」と聞いて返事の仕方で怪しいと思うかのレベル。
 これに関しては介入し過ぎるのも御節介だが、病気に関しては御節介になるまい。
posted by 青山整体GEN流院 at 01:34| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月19日

最悪の病気か?

 「がん」これも人間社会が作り上げた「偽の印象」だが、こうと診断されれば、まず「死」というものが脳裏をよぎる最悪の病気だそうだ。

 しかし、これは大きな間違えである。

 我々の身体の中では、常にがん細胞は作り出されているし、その数たるや厳密には計測は不可能であるが、そうとうな数であることは間違いない。

 つまり、日々我々の身体が、そのがん細胞を消滅させ、新陳代謝をしているのだ。

 ならば「がん」は、皆さんの体の中にもいる身近な存在というべきではないだろうか?

 私が恐れるのはむしろ、そういった新陳代謝や免疫力といった、身体を一定の健康状態に保ってくれている「自然治癒能力の低下」更に言えば「身体機能の低下」である。

 これを調節するのが私の施術。

 だから、自覚症状が無いからこそ施術は必要なのだ。「がん」だって自覚症状なく、体内ではいつも出来あがり、また消えていっているのだから、その消える作用を強めることこそが恐れる前に必要なこと。

 最悪の病気とは「自然治癒能力が低下すること」ではないだろうか。
posted by 青山整体GEN流院 at 00:14| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月18日

麻布十番

 今日は麻布十番方面の賃貸物件探しにまわった。良い説明方法ではないが、押尾学が公判中の事件現場となった六本木ヒルズレジデンスタワー近くである。

 とはいっても、そこそこの物件だと月100万円以上のする場所だ。ちなみに私は家賃にそれだけの現金を支払えない財政なので、それよりもかなり安いマンションを手当たりしだい歩いて見回り、気になるところをメモして調べる方法。

 これがまた、凄い時間を要する。

 なにしろ今日の場合だと、六本木まで恵比寿から行って、そこから手当たりしだいに六本木一丁目、麻布十番へと歩くのだ。

 3時間は歩きっぱなしになる。

 しかし、今始まった話ではない。こうやって都内の隅々まで歩いて町並みを感じ、あとは家賃と相談。

 こういうやり方で、山手線内側のほぼ4分の1は見つくした。

 患者さんのなかで「投資用物件で相場の高い安いは先生に聞けば完璧ですね」と言う方がいるが、確かに最近の相場は地域によるが相当熟知している。

 結局いまだに見つからずにいるが、これからも歩くことに専念する。

 おっと、今日は終電での帰宅となってしまった。


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posted by 青山整体GEN流院 at 01:21| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月17日

不明

 近年は極度の情報化社会であり、どういった質の物でも簡単に知りたいことが知れるようになっている。

 家電製品の最安値や、身体の異常、トラブルの対処方法等様々。

 私自身も、殆どインターネットによって探る傾向がある。
 
 しかし、ここまで簡単に情報が仕入れられるとなると、儲ける人というのが均衡化してしまう一方で、ある一部の勝ち組との境界線は増すばかりである。

 それに、誰もが知れること=たいした情報ではないということになるのではないだろうか?

 これを、私の施術に照らし合わせてみると、誰もが医学的に知っている対処方法や手法であれば、病気や身体異常の根本的解決や、その撲滅は出来ているのである。

 それなのに無くならないどころか増える一方。ならば、むしろ科学的に解明されていない手法の方が、かえって撲滅の可能性を持っているのではないかと思うのだ。

posted by 青山整体GEN流院 at 11:51| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

生きるか死ぬか

 終戦記念日ということもあり、無残で残酷な戦争の映像を目にする機会が多かった。

 野生の動物だって結局は生きるか死ぬかであるから毎日が戦争だし、人間だってそうであってもおかしくはないだろう。

 しかし、やはり人間という高等な動物が繰り広げる生きるか死ぬかは大変滑稽である。

 「昔は無知だったから仕方がない」というのなら、7年足らず前に行っていたアメリカのイラク戦争は無知だったからなのだろうか?

 経済の歴史を見ても、バブルのように膨らんではじける。何度でも繰り返す失敗。人間は結局過ちを繰り返す性分なのだろうか。

 今後また戦争を繰り返すとなると、私はおそらく何の未練もなく自害を選択するだろう。「大事な人の為に戦わないのか」と聞かれても答えは変わらない。殺すかも知れない相手にだって、大事なものはあるだろうから。

 それ以前に、生きる程にそれ程こだわってはいないのだ。

 それと、人間という生き物にもかなり飽きてきた。良いところもあるが結構疲れる。

 それでも生きているから何か必要とされているのだろうから、その行先は風に任せることにしているが。


 アメリカ軍人がイラク人に対する虐待写真。このアメリカ軍人はこういうのか好きらしい。私に、もしもこういった潜在的思考、気質があるとしたらどうしようか。きっと同じ人間の脳だから・・・

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posted by 青山整体GEN流院 at 02:06| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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