2011年07月27日

同じ

 近頃自宅PCの調子があまり良くない。変なんものをインストールしてしまってからだ。

 勿論アンインストールはしたが、どこかのレジストリが削除されていないのだろうと思う。

 PCも人間の脳も同じ記憶装置。たった一つの記憶によって、その全ての活動を狂わされる事もある。
 
 どういった事で狂わされるのか。PCであれば、マウスやキーボード操作でシステムが壊れる事は考え難い。

 大抵は大きな作業、パーツ交換をした時や、強制的な事をしたとき、急に電源が喪失したとき、または今回の私の様にインストールや削除を行ったときだろう。

 記憶装置は脳も同じ。だから、沢山脳が働いている(特に感情が高ぶるとき)ときや、望まない事を強制的にされたとき、急に意識を失ったり、手術による全身麻酔が行われた場合は、全身の調子を狂わす事になりやすい。
 
 「それは時間が経てば治るのか?」治るとは生物の持つ治癒作用なのだが、こういった類いの「狂い」は、PCと同じく治らない。

 つまり、生物が持つ生体恒常性(治癒作用もこの一部)が阻害される要因と、PC全体の調子が悪くのる事は似ている。

 だから我々の仕事の醍醐味は、PCの調子を狂わせている、ほんの少しのレジストリを探し出し、それを削除するのと同じなのかもしれない。

posted by 青山整体GEN流院 at 22:55| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月24日

パワーバランス

 このあいだ、ワインのコルク抜きが破損をして、私の手から酷い出血をしたと、この日記で書いた事を覚えているだろうか?

お陰さまで、今は完璧とは言えないまでも、後は皮膚が再生を繰り返せば、いずれ綺麗になる所まで治ってきた。

確かに、コルク抜きが壊れなければ、怪我はしなかったのだろうし、逆に壊れても握る場所によっては怪我はしなかっただろう。

だが、この2通りの結論だけに至っては、いささか問題がある。つまり傷をした「手」にとっては、言い分とはかけ離れて、勝手に間違った結論を出され、そして事実と違う解釈で終わってしまっているのではないかと思ったのだった。

また、コルク抜き側にとっても「冤(えん)罪」になるかも知れない。

ではその真相は、傷を負ってしまい、感情が押し込められた「手」の細胞に聞いてみようではないか。これは散歩の時に自分の体と会話をする原理と同じである。

そうして、10分もしないうちに私の脳は、勝手に間違ったストーリーを記憶していた事に気が付く。

その間違った記憶とは「手はコルク抜きによって傷つけられた」というものであったが、結果を言う前に、もう一度当時の私の日記を読み返し、過ちを感じて欲しい。


当日の日記の主旨としては「コルク抜きの破損のせいで手に怪我をした。だからコルク抜きの作りに不備があるとも過程ができるから、他の人が大怪我をする前に会社に知らせてあげる方が親切か。」という事であっただろう。

だが、被害者の「手」の言い分の答えは違ったのだ。

確かに傷をさせた武器は、コルク抜きの破損した鋭利部。しかし、壊した犯人と傷を作った犯人は「力」であったのだ。つまり、目には見えない物理的な「力」である。私が加えた力によって、コルク抜きが破壊し、かつその限界点を超え、更に余った力で「手」を切ったのだ。だから、傷をした手の細胞に押し込められた言い分は、「力を加減しなかった」という答えだったのだ。

危うく、手の言い分を聞き逃し、一生その傷をした細胞にフラストレーションを残す所だった。

さて、残すとどうだったか?

間違いなく、そこの細胞の恒常性は他の部分より、弱まっていただろう。そして、コルク抜きを見たり触ったり、または実際に抜く作業をしたり、音を聴いただけで、私の自律神経は乱れる人生になっていただろう。

おおよそ、その乱れ方は怪我をした時の状況を再現する。

例えば、怪我をした当時の心拍数が、仮に通常の1.5倍のスピードであったなら、未来永遠に上記の状況に遭遇しただけで、1.5倍の脈を再現するわけだ。

そして厄介な事に、これには自覚がない。1年後でも50年後でも、表面的な記憶から抹消されてしまうからだ。勿論、その理由を問うても「普通はそうじゃないの?」とばかりに、逆に質問返しをくらうのだ。顕在的意識の中で忘れているだけであって、体の細胞は全てを記憶している。


話しは変わるが、現時点で与論の多くは、あたり前のように「脱原発」になっている。

誤解を招かない様に、私自身の意見を先に述べるが、完全に無くさないまでも、大幅に縮小をすべきだと思っている。

しかし、いつも意見や与論の風潮が一方向へ行き過ぎた時に、人間は追い風という「力」を使って、行き過ぎる。

原発が仮に放射能を使わない無害なものであったとしても、政府はお金をバラまき、企業と官僚は癒着をし、既得権益を作り上げ、それらを確立するために情報操作を行う。それに変わりはないはずだ。

唯一の民意で選ばれるはずの国会議員は、癒着した大口票を取り込む事に躍起になるだけである。

 果たして、この自然エネルギーブームが、30年後どのような既得権益を作り上げていることだろうか?何もヒューマンエラーは原発に限ったことではないし、それがもし起こったら、結果的に原発事故よりも被害が少ないと言い切れるだろうか?

 権力という力は、そう頻繁にではないにしても、定期的に交代をしなければならない。3代目が危ないという事は、どの業界でもある話し。


 「行き過ぎた力」ちょうど私傷がそうであったように、現状の与論の流れも少し怖い気がする。
posted by 青山整体GEN流院 at 10:08| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月22日

果実酒

 最近、梅酒を始め、いろいろな果実酒を作ってみたいと思うようになった。

 最近だとユーロ圏から輸入したお酒が、とても安くなってきているが、それでも自分で作る味というのが面白そう。

 しかし、果実酒はとてつもなくお砂糖を使う。

 下記の写真も果実酒の白ワインが入った商品だが、少しコップの淵に付いただけでベトベトに。だからいつもソーダ割に。

 お砂糖を使わないお酒で、自分でも作れるものはないものか。「どぶろく」しか思いつかないが・・・。

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posted by 青山整体GEN流院 at 17:45| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月20日

芳香剤

 近頃、虫が玄関から入らないようにする防虫剤が多く売り出されている。

 本当に虫は来ないのか?

 ということで、早速使用をしてみると、臭くてこちらがたまらない。

 では、「無臭というものがあるのでそれに変えてみよう」と考えた。

 しかし、ダメだった。

 臭いは確かにしないのだが、とても気持ちが悪くなる。
 
 これは多分体によくない。

 虫よけどころか、人間よけにも効果があるようだ。よくよく考えたら、虫だけが嫌い人間だけが全く無害なんて都合のよいものはない。

 むしろ、気がつかないだけで、人間の方が高度である以上、よっぽど敏感に出来ているのかもしれない。
 
 だったら、虫を殺す薬剤というのは、おそらく人間にとって死ぬよりも「重大」な事が体内で起こっているような気がする。臭わない程の少量を吸入しただけでも。

 では防虫剤でなくて、芳香剤はどうか?

 これも私はダメ。例え完全天然抽出であっても、単一の臭いが逆に不自然に感じる。

 嗅神経は脳の深部から走行している。だから、刺激をするのは良いのだという言い分もあるが、私にとっては七味唐辛子を味噌ラーメンに一瓶全部入れたような刺激だ。天然であろうと、合成であろうと辛さの刺激は変わらない。

 大切なのは「嗅覚」だけ刺激をすることではない。せっかく「味覚」「触覚」「視覚」「聴覚」というものを持っているのだから、これらも同じだけ刺激することが必要だ。

 
posted by 青山整体GEN流院 at 11:33| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月19日

心理的要素

 「自分が変われば未来が変わる」というのは当たり前の理屈だが、それが一体どの程度のレベルまで変われば、未来が変わるのだろうか?
 
 生物の持つ能力の中には、生命を維持する「生体恒常性」という能力がる。

 走って心拍数が上がり呼吸数が上がっても、時間が経てば一定の状態に安定するし、傷を作って内圧と外圧に変動が起きても、皮膚の再生によってまた体内の圧力が元の安定状態になる。
 また、先日ご紹介したように、暑くて体内温度が上昇したとしたら、それを元の体温に戻そうと冷やす働きも、一言で言うと「生体恒常性」というものだ。

 何故それが未来の変化に関係があるのかというと、いつも同じ事をやって、同じように生活し、同じような考え方をしたならば、それは「安定した状態」を実現させる。しかし、今の起こっていることや、これから起こることは「過去の平均的状態(安定)の結果」であって、運が悪かった訳ではないのである。

 例えば、毎日身体的トレーニングを繰り返している人は、それに順応しようと、体力が日々増進するのは当たり前の結果なのだ。

 つまり、自ら不安定を生み出すことによって、未来に新しい自分を構築することになる訳だ。

 とは言っても、常に生物は安定(生体恒常性のように)を求めるものであるから、そこから脱却して、変化をもたらすのは相当難しいことなのだ。朝、寒い日の布団から飛び出るくらいの勇気が必要なのである。それに、この生体恒常性には「近しい人間の恒常性と同調する働き」がある。女性同士の同居人と同調すれば、生理周期も同じになることがあるのも同じこと。そして、夫婦であれば余計に布団から出ることは難しくなってしまう。

 
 これらの難関を突破して、簡単にそして大きな変化をもたらすことは出来ないものだろうか?

 人間に影響を与えることの一番は「家族や親しい人の死」で次に「引越しを伴う生活環境の変化」である。つまり言い方を変えれば、これらが起これば変化が大きいことになる。

 人の死をコントロールしたり、願うことはできない。しかし、次にある生活環境を変えるのは可能なのだ。
 
 「引越しをしたら運気が上がった」という人がいるが、風水的要素を除けば、これもまた自分の行動を無意識に変化させた結果なのだ。

 だから、自分が望んでいることで、自分なりに努力しているがどうしても達成できないということがあるならば、思い切って住居を変えるのがよい。

 「そう簡単には引っ越せない」という人も多いはずだが、「そう簡単に」という部分こそが安定にドップリ浸かった証拠なのである。

 いきなり「北海道から沖縄に引っ越した」というような人がいれば、昔と今を見ることができれば面白いだろう。、
posted by 青山整体GEN流院 at 20:16| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月18日

暑いが寒い

 こう暑い毎日が続くと、条件反射的に、冷たいものが=気持ちが良いと感じてしまうものだ。

 しかし、毎年同じ内容を書いている気がするが、暑いと感じている時点で、体は冷やす事をするようになっている。

 だから、そこに冷たいものを沢山食べたり飲んだりするのは、間違いなく「冷やしすぎ」になってしまうのだ。

 体が暑いと感じたら、脳は即座に反応をして、冷やすために必要な材料を総動員する。そうしていざ出陣をしてみたら、今度は冷えすぎていることになる。

 今度は困った。内部は寒すぎるのだ。だから、今度は温めるために必要な材料を総動員させる。その結果、再び暑く感じ始め、冷たいものがまた欲しくなる。

 これを避けるためには、常温以上の水分を多く摂ることが重要である。

 もしも体が冷やす反応を正常に行なっているか、確かめたい場合には、お腹の皮膚を直接触ってみるとよい。手の温度よりもはるかに冷たいはずだ。そうであれば、体は冷やそうと頑張っている。


 但し、熱中症などの危険性がある場合には、冷やすことも重要だからその限りではない。

   
posted by 青山整体GEN流院 at 09:23| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

会話ができているか

 今日も朝散歩へ出かけてきたが、祝日ということもあり、早朝から沢山の同目的者がいた。
 
 通勤時間の人数と大きく変わりはない気がする・・・・。


 音楽を聴きながら散歩やランニングをしている人を多く見かけるが、あれは非常に勿体ない。車が行き交う幹線道路で、聴きたくも無い音が沢山あるのならば仕方がないだろうが、散歩で大切な「五感への刺激」が偏ってしまうだろう。

 ましてや、電子機器から出る周波数は常に一定である。

 我々の日常生活において、自分を内側とし、他を外側とする癖が付いているから、多くの人は内側の話を聞くことが出来ていない。

 腰が痛いなら腰と股関節、膝、足首、足の指との会話を、腕が痛いのなら首や肩、肩甲骨、腕、手首、指先との会話が出来ていない証拠だ。

 内側の発する声が全く聞こえていない。

 「体が話すものか!」という一般常識をおっしゃる方もおられるが、一般常識こそが自分と他人の境界線が強固である証拠なのだ。

 だから、自分ではない外側のモノ、すなわち「特効薬」にたよったり「誰かに治してもらおう」という思考回路が出来上がるのだ。これは最も流行っている現代病のひとつである。

 間違ってはいけない、治すのは自分の体、つまり内側で起こる「自然現象」なのだ。我々の仕事のみならず、すべての医療行為は、ソレを喚起しやすい状態にするだけに他ならない。体との会話は、まさしくソレを誘発させる行為そのものである。

 生まれて数十年、自分の体との会話をやって来ていなければ、確かに最初は難しいことかも知れない。しかし、逆にそれが一般常識の社会であったら、これほど簡単な事はなかったであろう。何しろ、他人と話す際には会話の流れを気にしたり、あるいは機嫌を損ねないように取り繕ったりと大変なのだ。

 それらと比べれば、自分の体との会話など、赤ちゃんにでもできること。

 「腰さんはどうしたの?」「今何を感じているの?」といった具合に、腰が何を話すのかをカンジテみよう。そうして質問をしていないときの「感じ」と質問している時の「感じ」の差を、感情を交えて嗅ぎわけるのだ。

 これは散歩をしている時にやるのがとてもやりやすい。歩くために上がった心拍数が、無意識的に深呼吸を行なっているのと同じ条件にしてくれているのだと予想する。

 唯一の注意点は攻撃的に質問をしないことだ。



 そう、ちょうど子供の頃にお母さんが「痛い痛いの〜飛んでけ〜!!」とやってくれた行為は、高度で今では最先端の治療だったのかもしれない。


posted by 青山整体GEN流院 at 08:28| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月15日

朝の散歩

 ここのところ、明るくなるのが早いせいか、目覚めも早くて散歩へ出かけてしまう。

 特に6時頃は丁度よい温かさで、とても心地が良い散歩である。


 散歩をしていると、特にお年寄りには話しかけられることが多いが、その殆どが「おはようございます」とか「暑いですね」だ。

 正直、皆さんの早朝の温度感覚はわからないが、私自身は寒いよりも暑い方が好きなので、これくらいの気温ならばなんとも思わない。むしろ年中朝の6時の気温で構わない程だ。

 
 話は変わって、情けない話ではあるが、先日ワインのコルクを力を入れて抜く作業中、コルク抜きのハンドル部分がスっぽ抜けて破損し、破損部分が鋭利になっていた為、握っていた人差し指と中指の間から大量出血をしてしまった。

 怪我らしい怪我をするのは久々である。

 仕事上、人に触れるから、どのように処置をしようか困った。そこで、半信半疑ではあったが自然治癒力を高める絆創膏?パット?を使ってみた。

 これがまた、なかなか良い。かなりの力で切ったから、深さは相当なものであったが、2日もすれば修復がかなり進んでいる。(皮膚はえぐれているが)

 創傷のケースにもよるが、これはなかなか使い勝手がある。

 問題のコルク抜きだが、私の使い方が悪かったのかもしれないが、やはり力を入れて使うものだから、壊れても握る部分から破損するのはまずい気がする。

 クレーマーにはけっしてなりたくないものだが、この程度の怪我で済んでまだよかった。もしも、同じ商品で同じ用に破損して、他の人が大怪我にいたってしまってはと考えると、一言物申すのも必要な事かもしれない。

 
posted by 青山整体GEN流院 at 08:24| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月11日

今日のワイン

 先日で梅雨も明け、夏本番の暑いが続く。

 そうとくればビール!!

 ということで、ここのところお酒と言えばビールに徹していたが、やはり私は赤ワインが好きだ。だから、また今日からワイン。

 今日のワインは、フルボディーでなかなか味も深くそして重い。

 それでもって1300円とかなりお得(円高からか?)。

 「一度開けたら全部その日に飲む。でなければワインに失礼だ。」をモットーに、今日も夏の始まりを楽しもうと思っている。

 私の診ている方で、70歳を過ぎた方で憧れる素敵な男性がいるが、その方からいつも忠告を受ける。「安い酒は飲むな」である。

 理屈はどうあれ、言わんとすることは非常によくわかる。だからあえて「何故ですか?」とは聞かない。聞いたことで何かを見なくなり、そして必要な事を見失う気がするからだ。いつもたくさんの選択肢があって、それを自分の人生によって選択するから面白いのである。

 
 皆さんは夏はどのように楽しんでいますか?


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posted by 青山整体GEN流院 at 23:11| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月09日

ヤツ

 3ヶ月程前の事である。室内に突然現れたのが一羽の「すずめ」。尻尾が短く小さい体から、幼いすずめだと察しがついた。

見つけたのは夜の9時。つまり、カラス以外の鳥にとっては真っ暗闇で視界はほぼ無し。

「仕方がない。明日の朝まで匿ってやろう。」という事で、部屋を真っ暗に消灯。ヤツは予想した通り、部屋の隅でスヤスヤと寝てしまった。

良かったと思ったのはつかの間。今度は起こしてはならないと思い、一切の物音もたてられない。

「抜き足差し足」そういう時は、やけにフローリングのきしみ音が大きく感じるものだ。

困ったのはまさかのトイレ。部屋の隅とはいえ、トイレの戸が開けられないところにヤツは寝ている。

仕方がない。暴れて羽でも折れてしまっては、私の判断の責任でもある。


そうこうしているうちに、早朝4時の屋外からは、カラスとすずめ達の鳴き声が聞こえ始めたではないか。

「今だ!今しかない!」

と思ったものの、ヤツはスヤスヤと寝ている。

しかし困った。何故なら、どうやって捕まえて外へ逃がそうか…

何しろ、インコは飼っていた事はあるが、すずめという生物の能力は全くわからない。だから、かじられでもしたら、もしかしてとてつもなく痛いのではないか?と思ったのだ。

10分程考えて閃いた。コーヒー牛乳500ミリリットルがあったから、それを全て飲み干して、パックの口を開け、そのままヤツに被せようと考えたのだ。


「再び抜き足差し足」人の気も知らず、ヤツは相変わらずスヤスヤ。

「えいっ!」

無事に捕獲成功。勿論コーヒー牛乳パックは綺麗に洗い、しかも乾燥までしてやった。そうして被せた下から薄紙を滑らせ、そのまま外まで連れて行く。

木がある近くで蓋を開けると、今度はなかなか出て来ない。困った。もしかしたらどこか怪我をして、飛べないのではないか?

そうこう考えるうちに、次なる強行手段に出る。ヤツの入ったコーヒー牛乳パックを徐々に傾け、滑り出そうと考えたのだ。

作戦は成功!

ところが飛びはするものの、墜落をしてしまう。

「幼いからか?」「やはり怪我をしているのか?」とその時、脇道から猫が出没。視線は明らかにヤツを狙っているではないか。

「まずい早く飛べ!」

そんな心の声が聞こえたのか、ヤツは力を振り絞って近くの木の枝まで飛んだのだ。なんともぎこちのない飛び方。

関心したのはそこからすぐの事だった。なんと、どこかで見ていたらしく、仲間の大人すずめが3羽程、同じ木の枝へ駆け付けるのだった。そうして、大人すずめが何度も近くの木に飛ぶ姿を見せると、ヤツは先程よりも上手に飛ぶ。

数分後、結局ヤツは礼も言わずに飛び去って行った。

「そうだトイレ!トイレ!」

出す物を出してリラックスをすると、ふと気が付いた。

大人すずめが一部始終を見ていたのだから、もしかしたらヤツ以外にとって私は「コーヒー牛乳パックによる監禁及び誘拐犯者」である。

あいつらが、もしもすずめ同士で会話が出来るのであれば、きっと「大丈夫だったか?酷い人間もいるもんだ」という話しをしているのではないかと脳裏を過ぎる。

結局一睡もせずに仕事へ出勤。

眠い。

それからというもの、公園のベンチに座ってすずめを見る度に「もしかしてこいつ…なわけないか」と助けたヤツを思い出すのである。

誘拐犯にはきっと御礼は来ないだろう。



 公園のすずめ
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posted by 青山整体GEN流院 at 10:08| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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