2013年06月27日

忙しや

明日の朝の便に飛びます。

朝は6時出です。

まだ何も準備をしていませんので、なかなか手こずりそうです。


よって、青山整体GEN流院は6月28日〜7月8日まではお休みになります。


長期のお休みになりますが、バカンスではありませんので。なにとぞご理解の程よろしくお願いいたします。










posted by 青山整体GEN流院 at 18:15| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月25日

最近のニュースから人間を知る

ニュースを見ていたら、岩手の県議の方が、ブログの炎上が切っ掛けで自殺をはかった可能性があるとの報道があった。

これを見て、SNSでその関連書き込みを検索してみると、実に中身のない書き込みが多く、つまらなかったのでこちらのブログに書く事にした。




まず、この県議の方は、盛岡県の県立病院で、番号で呼ばれた事にはらを立て、ブログに「刑務所にきたんじゃない」「会計をすっぽかして帰ったものの、まだ腹の虫が収まりません」と書き込んだ模様。


しかし、その後ブログが炎上して閉鎖。関係者には謝罪と反省の弁を述べていたという。


そして、本日自殺するという流れだ。




それを受けてSNSでは「アホちゃうか」「死んでどうなる」「こういった責任の取り方はおかしい」「インターネット社会が人を殺した」等さまざまではあったが、これほど浅くしか物事を観察しないのかと、私個人がつまらない気持ちになった。



さて、ここのブログでは基本的に、体に関連することについて書いている。

だから今回も「岩手県議自殺からみる人間の精神行動」というお題になるだろう。




まず最初に、この県議さんみたいに、一見常識をわきまえない発言や行動を何故とってしまったのか?について考えよう。




人間がこういった感情を噴出する場合、決まって人それぞれの常識というものが引き金となる。



つまり「刑務所にきたんじゃない!」と激怒する部分だ。



これは、推測するに相当屈辱的だったのだろうと思える。その理由に、県議ともなる方が、社会的な一般常識を「知らない」わけはない。むしろ、SNSで批判している人達の大半よりも社会を知っている。


しかし、それを抑えられない程、ようするに「頭にきた」わけだ。




その理由の殆どは、私は幼少期の教えられ方にあると思っている。


幼少期には、親や身近な子育てを行ってくれた人の常識が植えつけられる。そして一生その常識の部分は消えない。しかし、普段はその常識というものは、学校や交友関係、社会によって上塗りされ、影をひそめる。

簡単なことでいうと、ご飯粒を残さずに食べなさいというのもそうだ。



だが、些細な事象で一端刺激されると、その幼少期の常識をもとに、いわゆる「キレる」のだ。




これはあくまでも「私の個人的な見解」である事を最初に付け加えておいて、勝手に県議の方の奥底にある中身をこう分析してみた。




*親から「犯罪者は社会の恥」と教わっていた
これだと非常に今回のケースは分かりやすくなるだろう。なにしろ、県議の方は県民の前で受刑者番号を呼ばれた(実際はこの病院ではプライバシーの保護で名前を番号で呼ぶらしい)のだから、屈辱的だったと推測される。


それが、上塗りをされた常識と照らし合わせて「キレた」のであれば、そのあとの「会計をすっぽかして」までいたらない。そして公の人間が多数閲覧できるブログになど書き込む事もしない。


いわゆる「ただ頭にきた」で終わるわけだ。



なのに、社会的な常識を全くわきまえずにこういう行動に出てしまった。



推測するに「親は犯罪者に対して相当な差別を持って犯罪者にならないように教育した」ものとも思える。



そして更にいえば、その親とて分からない。



親の親もそういう価値観を持っていたのかも知れないし、その親の親もそうだったかもしれない。



そうやって考えると、「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がスッキリしてくるのではないだろうか?



勿論、犯罪を擁護しようという趣旨はないし、犯罪者そのものを罪の無い人とは思わないから、そこだけは断っておく。


但し、猟奇的殺人犯や訳のわからない犯罪を、何かその人の個の問題として考えがちであり、なかなか精神論までたどり着かない今の日本社会の風潮に、何か嫌気がさしてくるのだ。




親の常識の影響力というものは絶大である。



例えば「ドメスティックバイオレンス(DV)」なんかも同じ習性を持っている様におもえる。


これは正に代々受け継ぐ連鎖なのだ。



「酷いことするよね」なんて言葉は、上塗りされた常識から照らし合わせた意見と見解であることを理解する必要がある。



「分かっていてもついついやってしまう」それこそが、本質の常識が顔を出す時だ。


だから犯罪者が捕まった後になって、口々に「あの人がそんな事をやる人だとは・・・」「普段はとても優しくて」というのだ。



結局のところ、人間は「コントロール出来る感情」「コントロール出来ない感情」というのを持ち合わせている。



であるなら、結婚相手も世間一般の常識で選ぶと酷い目に合う




話しは戻って、だから私はSNSによく見る「死んでどうなる」とか「自業自得」とかいう言葉は、軽すぎると思うのだ。



私がもしも県議さんについて何か感情を抱くとしたら「苦しかっただろうに。もう少し自分に対して適当に考えられれば・・真面目に教えられた通りに全うしてしまったのか。」と思うだろう。




そうやって考えると、人間は何のために生まれて、何のために死んでゆくのか。


生まれるのも苦なのに、生きるのも苦であり、死ぬのも苦だとしたら・・・


そして苦を連鎖させる生き物だとしたら・・・・


答えの出ない考えに思いふけることもある。














肩こり,腰痛,頭痛,四十肩,五十肩,生理痛,骨盤矯正,内臓調節,頭蓋骨調整,
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2013年06月02日

人間の本質にあるもの

右や左に感情を高ぶらせている人を多く目にする。


特にアメリカ人のスポーツ観戦や、コンサート(マイケルジャクソンのライブで失神する人など)での熱狂振りは、日本人には理解できないところがあって、失神した人の顔を扇いで冷やす光景も、日本ではまずみられないだろう。


よくよく考えてみて欲しい。


失神なら分かりやすいが、我々日本人は特に失神という「ブレーカー」が無い人が殆どだ。


つまり、ブレーカーによって、肉体破損・精神破損を回避出来る機能を持っていないからこそ、直接的にダメージを与えてしまう。



ならば失神に値しない感情の高ぶりはどうなるか?


勿論からだは反応している。



特に肩こりの原因でもあるのだが、ストレスに対する抵抗反応が肩を凝らせるのだ。


例えば、道路で歩行している人に、後ろからそっと近寄って「ワッ〜!!」とやったらどうなるか。

殆ど人間は驚くと、まずは防御の体制をとろうとするだろう。


この場合の防御体制は、殆どの人が肩をすくめるはずだ。


つまり、いつストレスが、体や精神に加わっても、身体・精神にダメージがいかないように、肩をいつも緊張させているのだ。


よって、無意識的なストレスに対する反射の原理によって、肩こりが形成していることになる。



そうやって考えると、全身の症状が、その方の何に対する警戒から出ているのか想像が付くようになるだろう。











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