2013年08月05日

何が出来ないかではなく・・・

人間の思考というのは、リスク回避という「自分を危険にさらしたくない」という生命ルールを重要な位置づけにしている。



これは、魚であろうと昆虫であろうと、その行動や特徴を見てもわかる。

つまりは、最初は捕食されるかされないかというシンプルなもの。




しかし人間は、文明が発達し、命を奪われる危険性というのは、特にこの日本ではココが退化してしまった。




それにとって変わったのが「集団社会の輪の中で生きるか死ぬか」ということ。



他と違う行動や色、発言や習性を「リスク」および「危険」という形でリスク回避思考が刺激されるようになった。



そうやって考えると、集団民族としては、極めてリスク回避施行は原始人レベルなのだろうか・・



小魚の群れが、より多くの中に埋もれ、捕食者から狙われた時も、自分が食べられる確率が少なくなる。


だからこそ、日本社会での「いじめ問題」は、単純なものではないのかも知れない。






特に最近よく思うことは、政治の分野で起こっている。


野党が大敗し、与党が大勝した。


投票も同じ習性であり、与党が圧勝した「群れ」になるからこそ、今度起こるのは群れの行動規律違反。



つまり、内輪モメというやつだ。




これは、議論すればするほど鮮明になるだろうし、自分と乖離した意見は「危険なヤツ」としてリスク要因と呼ぶようになる。





このように、人間の精神は、現代社会では選択肢を奪われる一方の窮屈なものだ。


より人間の精神が健全で健康的な時は、本来は選択肢を多く考えられるもの。

つまり「何ができないか」ではなくて「何ができるのか」という思考になる。




このほど、日本の国は規制でがんじがらめになっており、何をするにしても「何ができないか」ということから考えなくてはならない状態だ。



夢を描いてもそこから引き算をして、残ったものしか出来ない。



「そんな間が抜けた夢を想像したら、本当にやりたいことなど無くなる」という考えに至るのが普通だろう。




だから、日本社会の精神は「不健康」へ導かれているのだと思うのだ。




年寄りは、老化の道をあゆみ「何ができないか」ということから行動を見極める。


精神がそうであったなら、体もそうだ。膝が痛くて動けないとか、腰が痛くて旅行にいけないとか・・・




一方で、小さい頃は、体がまだ成長を続けているから「何ができるか」の考え方である。

そのほとんどが、できもしない背伸びであって無鉄砲だが、少なくとも精神はそれに引っ張られて急速に発展を遂げる。




だらかこそ、大人の社会の精神を子供の社会に押し付けてはいけない。


これこそが「いじめ」の要因と言えよう。





健康面でも同じこと。


必ず痛みがある場所はリスクとなる。だから気になるし痛みから逃れたい。



しかし、それ以上に回復を速める考え方がある。




まずは「精神を健康にすること」だ。




つまり、右の腕が痛くて字が書けなくても、左で書いて楽しんでみるという好奇心。


痛いことを楽しめるからこそ、その精神に引っ張られ、どんどん痛みが不必要になってくる。




そういえば、子供の頃は「口に鉛筆を加えてどれだけ綺麗に書けるか」「鏡文字を何秒で書けるか」そんあ遊びをしていたのを思い出した。
















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posted by 青山整体GEN流院 at 16:27| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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