2014年02月27日

好ではない

夢中と好きの違い・・

特に「夢中」である人は、好きなのか嫌いなのかすら考えないかも知れない。

一方、「好き」はいろいろな好きがある。

例えば、コロッケが好きかと聞かれれば、嫌いではないという対比があっての好きであったり、普通に好きというレベルもあったり。

多分、夢中な人は、コロッケという単語を聞いただけで、中身の詳細や味、ひいては何をかけて食べると好きか、そこまで聞いていなくても勝手に話す。

だから、夢中な人は、文字通り「夢ワールドの中」に浸っていて、家も車も植物も、みんなコロッケに見えてしまう(よく漫画などではそういう描写があるだろう)


そして、夢中である人は、至ってプラス思考である。

コロッケが食べられるなら、途中で事故に合っても、最終的に食べられたら「このコロッケに出逢うために事故があった」とすら考える。

ある意味、ストーカー的な思考であり、対物であるか、対人間であるかの差。


私は夢中である人と接すると、とても気持ちがスッキリする。

一方、好きと話している人で、その好きなものに対して意外と追求がなされていない人とは、とても疲れてしまう。

その差は、プラス思考主義だからだろう。

「何ができないか」というではなくて「何ができるか」という進展のある話ができる。

成功する人間がプラス思考で、かつ実行力があるのは頷ける。常に進展系思考だからだ。


人間の体でも、同じように、痛い部分や不調部分を「悪い」と解釈する人があまりにも多い。

「痛いから●●ができない」「できなくなった」という表現方法だ。

しかし、治る人の思考は違う。

「それでも●●が出来る」「●●が出来るようになった」という思考を兼ね備えている。

そこに居座るか、治る進展系の考え方をするか。


いつもお話することだが、痛いというのは生命反応の一部であって、むしろ生きている肯定である。

現に、痛くも無ければ、人間という生き物は健康管理などそもそもしないから、健康管理をしなさいというサインとして捉えるべきなのだ。





posted by 青山整体GEN流院 at 12:58| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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