2013年08月04日

均衡状態を壊すとき

人間の体内は、ある一定の状態を保つ働きがある。

これを「生体恒常性」とか「ホメオスターシス」と表現する。


普段の生活の中で、この働きを感じることはなかなか少ないだろう。

というより、気がついて意識をしていないだけだ。


例えば、簡単なことで言うと、呼吸や脈拍は普段から恒常性を保っていることを誰もが知っている。


階段を上り下りしたとき、走ったとき、特殊な伝達手段をもって、体内に必要な血液と酸素を、精度の高い計算式ではじき出し、あなたが意識していようがしていまいが、呼吸と脈拍数をオートマチックにコントロールする。

普段このような事を考えたことのない人は「息があがった」という表現方法に違和感を感じないだろう。


なぜならば「運動する→息があがる」と思っているからだ。


では何故運動をしたら息があがるのか?それを知っていれば、即座に違和感を感じることになる。


これらの働きは「神経」が主役となって機能している。つまりは最高中枢が「どれだけ不足し、それをどこを働かせることによって補えるか」を命令しているわけだ。

だから「息があがる」という表現ではなくて、「必用に働いている」ということになる。脳のジャッジが下って、伝達が完了した結果呼吸と脈拍を上昇させるわけだ。


人間は、目に見える方を優先して生きている。おそらくその習性から「息があがる」という方がしっくりくるのかもしれない。


一方で、主役はあなたの目に見えない状況でいつも完璧な仕事をこなしている。


考えてみて欲しい。もしも過剰に呼吸や脈拍が働くとしたならば、今朝駅の階段を昇った時にあがった呼吸と脈拍は、夜になっても「あ、今朝のがまだ・・・」なんてことになる。


そうやって、湖面の水に波紋が広がるように、最初は必用に乱れ、やがて安定を取り戻す。

これぞ自然の働きであって、人間の体内の法則にも変わりはない。


ごく自然の働きということだ。


最初に戻るが、これを「生体恒常性」とか「ホメオスターシス」という単語で集約している。


あなたの体の内部環境が、均衡状態にあるとしよう。

建築構造でいうと「テンセグりティー構造」というもので例えることができる。

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すべてが拮抗されている状態だ。

物理構造的にも、この働きはとても強固で力の分散が効率的である。

人間の体も同じ様にこのテンセグりティー構造のように、筋肉や人体、骨によって支えられている。

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これほど物理学的にも強固な構造になっているのに、どうして体は壊れてしまうのか?

ひとつはいくら強固なものであっても、物理的限界点を超えれば、破壊点に達する。そしてこれが最も重要なところであるが「精神が不安定な時にはほんの少しの外力でも壊れる」ということだ。

あたまに来ている時、仕事で追われている時、公私において悩みがある時、家族や兄弟、ペットが死んだとき、引越しをして環境が大きく変化した時、不快と感じることを繰り返し受け入れなければならない等、生きていればいろいろあるだろう。

これを一言に「ストレス」と現代人は呼んでいる。



精神と内臓の機能は、とても密接な関係がある。

致命的な失敗やストレスによって「胃が痛い」というように、特定の臓器が感情と関与している。


だから、身体が壊れる時は、精神負荷と内臓の機能異常から始まる。


肝に銘じておくべき一般的事象だ。











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2013年07月09日

何もしないから動きがある

人生には個々の持つ「バイオリズム」があると私は思っている。

だから、うまくいかないときは、頑張る労力よりも、流れを読むことに全精力を注ぐ必要がある。


「何もしない」


この空虚から感じる事こそが、今必要としていること。


再び自分に流れが来るのを必然として待つ。


これができるか出来ないかで、多くの人生の浪費を防ぐことができるのではないかと思う。



「動き」を感じるためには、先ず自分が停まらなくてはならない。


「何だか最近思うように行かなくなったな」と感じたならば、一度何もしない空虚を味わうといいと思う。


具体的には、今直面している問題を手放し、考えることをやめて、食事も短期的に辞めてみるとよいだろう。


そうやっていると、自分のバイオリズムがそう時間がかからずに上昇してくる。


わりと大胆なやり方かも知れないが、私はいつもこうやっている。












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2013年06月27日

忙しや

明日の朝の便に飛びます。

朝は6時出です。

まだ何も準備をしていませんので、なかなか手こずりそうです。


よって、青山整体GEN流院は6月28日〜7月8日まではお休みになります。


長期のお休みになりますが、バカンスではありませんので。なにとぞご理解の程よろしくお願いいたします。










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2013年06月25日

最近のニュースから人間を知る

ニュースを見ていたら、岩手の県議の方が、ブログの炎上が切っ掛けで自殺をはかった可能性があるとの報道があった。

これを見て、SNSでその関連書き込みを検索してみると、実に中身のない書き込みが多く、つまらなかったのでこちらのブログに書く事にした。




まず、この県議の方は、盛岡県の県立病院で、番号で呼ばれた事にはらを立て、ブログに「刑務所にきたんじゃない」「会計をすっぽかして帰ったものの、まだ腹の虫が収まりません」と書き込んだ模様。


しかし、その後ブログが炎上して閉鎖。関係者には謝罪と反省の弁を述べていたという。


そして、本日自殺するという流れだ。




それを受けてSNSでは「アホちゃうか」「死んでどうなる」「こういった責任の取り方はおかしい」「インターネット社会が人を殺した」等さまざまではあったが、これほど浅くしか物事を観察しないのかと、私個人がつまらない気持ちになった。



さて、ここのブログでは基本的に、体に関連することについて書いている。

だから今回も「岩手県議自殺からみる人間の精神行動」というお題になるだろう。




まず最初に、この県議さんみたいに、一見常識をわきまえない発言や行動を何故とってしまったのか?について考えよう。




人間がこういった感情を噴出する場合、決まって人それぞれの常識というものが引き金となる。



つまり「刑務所にきたんじゃない!」と激怒する部分だ。



これは、推測するに相当屈辱的だったのだろうと思える。その理由に、県議ともなる方が、社会的な一般常識を「知らない」わけはない。むしろ、SNSで批判している人達の大半よりも社会を知っている。


しかし、それを抑えられない程、ようするに「頭にきた」わけだ。




その理由の殆どは、私は幼少期の教えられ方にあると思っている。


幼少期には、親や身近な子育てを行ってくれた人の常識が植えつけられる。そして一生その常識の部分は消えない。しかし、普段はその常識というものは、学校や交友関係、社会によって上塗りされ、影をひそめる。

簡単なことでいうと、ご飯粒を残さずに食べなさいというのもそうだ。



だが、些細な事象で一端刺激されると、その幼少期の常識をもとに、いわゆる「キレる」のだ。




これはあくまでも「私の個人的な見解」である事を最初に付け加えておいて、勝手に県議の方の奥底にある中身をこう分析してみた。




*親から「犯罪者は社会の恥」と教わっていた
これだと非常に今回のケースは分かりやすくなるだろう。なにしろ、県議の方は県民の前で受刑者番号を呼ばれた(実際はこの病院ではプライバシーの保護で名前を番号で呼ぶらしい)のだから、屈辱的だったと推測される。


それが、上塗りをされた常識と照らし合わせて「キレた」のであれば、そのあとの「会計をすっぽかして」までいたらない。そして公の人間が多数閲覧できるブログになど書き込む事もしない。


いわゆる「ただ頭にきた」で終わるわけだ。



なのに、社会的な常識を全くわきまえずにこういう行動に出てしまった。



推測するに「親は犯罪者に対して相当な差別を持って犯罪者にならないように教育した」ものとも思える。



そして更にいえば、その親とて分からない。



親の親もそういう価値観を持っていたのかも知れないし、その親の親もそうだったかもしれない。



そうやって考えると、「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がスッキリしてくるのではないだろうか?



勿論、犯罪を擁護しようという趣旨はないし、犯罪者そのものを罪の無い人とは思わないから、そこだけは断っておく。


但し、猟奇的殺人犯や訳のわからない犯罪を、何かその人の個の問題として考えがちであり、なかなか精神論までたどり着かない今の日本社会の風潮に、何か嫌気がさしてくるのだ。




親の常識の影響力というものは絶大である。



例えば「ドメスティックバイオレンス(DV)」なんかも同じ習性を持っている様におもえる。


これは正に代々受け継ぐ連鎖なのだ。



「酷いことするよね」なんて言葉は、上塗りされた常識から照らし合わせた意見と見解であることを理解する必要がある。



「分かっていてもついついやってしまう」それこそが、本質の常識が顔を出す時だ。


だから犯罪者が捕まった後になって、口々に「あの人がそんな事をやる人だとは・・・」「普段はとても優しくて」というのだ。



結局のところ、人間は「コントロール出来る感情」「コントロール出来ない感情」というのを持ち合わせている。



であるなら、結婚相手も世間一般の常識で選ぶと酷い目に合う




話しは戻って、だから私はSNSによく見る「死んでどうなる」とか「自業自得」とかいう言葉は、軽すぎると思うのだ。



私がもしも県議さんについて何か感情を抱くとしたら「苦しかっただろうに。もう少し自分に対して適当に考えられれば・・真面目に教えられた通りに全うしてしまったのか。」と思うだろう。




そうやって考えると、人間は何のために生まれて、何のために死んでゆくのか。


生まれるのも苦なのに、生きるのも苦であり、死ぬのも苦だとしたら・・・


そして苦を連鎖させる生き物だとしたら・・・・


答えの出ない考えに思いふけることもある。














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2013年06月02日

人間の本質にあるもの

右や左に感情を高ぶらせている人を多く目にする。


特にアメリカ人のスポーツ観戦や、コンサート(マイケルジャクソンのライブで失神する人など)での熱狂振りは、日本人には理解できないところがあって、失神した人の顔を扇いで冷やす光景も、日本ではまずみられないだろう。


よくよく考えてみて欲しい。


失神なら分かりやすいが、我々日本人は特に失神という「ブレーカー」が無い人が殆どだ。


つまり、ブレーカーによって、肉体破損・精神破損を回避出来る機能を持っていないからこそ、直接的にダメージを与えてしまう。



ならば失神に値しない感情の高ぶりはどうなるか?


勿論からだは反応している。



特に肩こりの原因でもあるのだが、ストレスに対する抵抗反応が肩を凝らせるのだ。


例えば、道路で歩行している人に、後ろからそっと近寄って「ワッ〜!!」とやったらどうなるか。

殆ど人間は驚くと、まずは防御の体制をとろうとするだろう。


この場合の防御体制は、殆どの人が肩をすくめるはずだ。


つまり、いつストレスが、体や精神に加わっても、身体・精神にダメージがいかないように、肩をいつも緊張させているのだ。


よって、無意識的なストレスに対する反射の原理によって、肩こりが形成していることになる。



そうやって考えると、全身の症状が、その方の何に対する警戒から出ているのか想像が付くようになるだろう。











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2013年05月29日

体はウォーターベッド

氷は固くて水は柔らかい?

プリンは柔らかくて、せんべいは硬い。


よくわからない始まり方ではあるが、人間の体の各部分も同じように固定観念によって、本来は柔らかいところなのにもかかわらず「硬い」とされている部位がある。


その器官とは「骨」である。



骨そのものは確かに硬い。しかし、生きている人間の骨は、とても柔軟性のある摩訶不思議なものだ。


実際には、骨は膨らんだり縮んだり、身体の他の部分の律動的な動きと同調をしている。


それが同調しきれていない場合、その骨にある関節にズレなどの問題があるか、もしくは骨そのものに外傷の経歴を持つことが多い。


つまり、人間は構造体として、とても精巧な作りをしていて、その精巧な歯車は、日常の生活やストレスによって、動きが遅くなったり早くなったりしてしまう。


特に、骨は面白い。

ひとたび柔軟であることが感じられれば「どうして今までこんなに大きな動きを見逃していたのか」と、自分の固定観念(動いているハズがないし柔らかいハズもない)が、どれほど自分の人生の邪魔をして来たのかがよくわかる。


人間は本来、見えないところには注意を払わない動物である。


だからこそ、その習性を本当に理解しているとしたなら、見えないところに着目点を定めるべきだ。



そう思って人生を生きてみると、何だか面白い毎日に生まれ変わった気がするだろう。



まるで顕微鏡の世界を覗いているかのように。











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2013年05月19日

出張です

明日から軽井沢方面に出張へ出掛けます。

青山の方は23日(木)の午前中までお休みです。


ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。







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2013年05月14日

生活習慣

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「生活習慣病」という言葉を見聞きして、今まで何も感じなかったし、考えもしなかった。


しかし最近「そういうことか」と思うようになってきた。


それは、だんだん年を増すごとに、自分の食べる物や、好み、行動習性というものが一定になってくるということから感じ始めるようになったのだ。


確かに、生活習慣から出来上がる「何か」というものはあるかも知れない。


しかし、私が一番気になったのは、習慣が一定になることによって、「思考習性」というものも一定になってくるのだというところだ。


これはすなわち「頭が固くなっている」という証拠でもある。



だから、人間は何時でも遊び心をもって、新しいものにチャレンジするというが、若々しく生きるコツではないのだろうかと、ふと考えていたところである。










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2013年05月13日

思っていても実行できない人

人間の頭は、勝手にあれこれ想像する習性がある。


しかし、動物の場合は創造するということはなく、何らの条件反射的要素がなければ想像力は働かせられない。


餌袋に似た音が聞こえたら「もしかして食べられるかも」という具合だ。



ところが、人間は高等生物であるが云えに、「自分の創造が何によってもたらされているか」ということに気がつかないことがよくある。


仕事が上手くいっていなければ、勝手に将来の絶望性まで創造してしまうし、今上手くいっている事までついでに「上手くいかなくなる想像」をしてしまう。



私が思うに、人間というのは、とても繊細に出来ていて、精神ストレスから過度に逃げる習性があるように思える。


「精神ストレス」というものは、そもそも望むことの全く正反対の事象によって発生するのだが、「そうならないように過度に逃げておく」という想像こそが、必要以上にストーリを描く主たる原因と言えよう。



これは過去の「必要以上に逃げなかったことによる失敗の学習」の積み重ねであって、放っておけばやがては追い詰められて、逃げ道がなくなり、限界点をむかえる。



悪い想像に偏りやすい方は、先ず「現実という基準を失わないこと」からだ。



今現在抱えている問題というものと、これから問題になりかねないというものを分けて考える。



そして「今」その抱えている問題が何かの偶然によってキレイさっぱり解決したとしたら、今までの人生とどこが変わるだろうか?


ここが重要なところだ。



つまり、精神ストレスから逃げ続けて追い詰められるか、解決するかの出発地点は、この問題に対して、あなたがどのように処理してきたかによって、今の人生が形成されてしまうのだ。


これを一言に「プラス思考」という言葉でまとめられる。




ここまで話を引っ張っておいてなんだが、決して楽観しすぎるのもよくはない。ただし「楽観も悲観も最低等しく考えるべき」と言っているのだ。


通常は10のうちは悲観に陥る習性がある。


だから、もう3は楽観すべきだと言っているのだ。


成功するもしないも、きっと自分の中の「考え方」に掛かっているのだと私は思う。





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2013年04月21日

感覚の鈍さ

人間はおおよそ、目で見なければそれを信用できないという人が殆どだ。

しかし、目ほど信用ならない器官はない。


例えば、3Dの映像で自分に向かって高速で飛んでくるものから逃げてしまうし、絵画で立体空間と平面すら区別がつかないこともある。

また、お寿司の形をしたデザートを見破ることも出来ないし、店頭のサンプルが本物か作り物かもわからない。


目とは結局そんな程度だ。


だが、現代人は特に、この「目」に絶対的権力を与えて、脳そのものの実権を握らせ、もはや独裁国家かのような思考を抱く。

目で見えないものは事実ではないし、違うと信じようとする。



私がよく行う方法だが、首のミスアライメントが原因で、膝が引っ掛かっていた方がいたとしたら、その人の首を調節しながら「膝に何か感じますか?」と聞いてみる。するとおおよその人は「・・・い・いやあまり・・」と答える。


そういう人には、やる前の膝の運動範囲を調べて、術後に改善していることを「目」で確認させるとよい。


しかし、更に上手の人がいる。


目で見ても「いや、あまり変わっていないような・・」という人だ。


これは一大事である。


何せ、数センチは運動範囲は広まっているにも係わらず、分からないというのだ。それも、私の膝ではない。ご本人の膝なのにだ。


感覚器官の鈍化、つまり不感症である。


そういった人に限って、マッサージに通う習性がある。そして「そこ・そこ・・もっと強く」と言う。

ここまでくると、一体何のためにそこに行っているのか疑問に思う。



そういった失われた感覚を取り戻すために、オススメの方法がある。


目を閉じて、仰向けになって寝て、身体の空間的位置感覚を感じることをするのだ。

「手を感じ、その手が足や胴体、頭とどの程度の空間的距離を持っているか」を感じることをする。


そして、できるだけ目以外の感覚を研ぎ澄ますのだ。


暖かい・・・冷たい・・・くすぐったい・・・ジンジンする・・・


何でもいい。何しろそれが実際にどうなっているかなんて、目で確認する必要がないのだから。



発展すると、「どのように体を動かしたら楽なのか」という感じまでわかる様になってくる。



毎日こういったエクササイズで、体の感覚を研ぎ澄ますといい。目という独裁者から一時的に体の感覚器官を解放してあげるのだ。












posted by 青山整体GEN流院 at 19:20| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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